大学に行ったほうがいいたったひとつの理由
どうも、なんちゃって院卒エンジニアです。
深夜に思い立って連続長文tweetでフォロワーのTLを汚してしまったので、文章書きの練習も兼ねてどうせならブログにまとめろよ、と思った次第であります。
何回か言ってるけど、大学行ってよかったと思えることの1つは、”背中にうんこを隠し持ちながら美味しいカレーの看板を掲げてる奴”が世の中にそれなりの数いて、そういうやり方を研究を通して身を以て学べたという点
— M.J.P. (@mjp_mcr) 2016年4月9日
かっこいい言葉で言うと「クリティカルシンキング(批判的思考法)」というやつ
なんだか偉そうなことを言ってますが、たらこくちびるの人の名言のように「嘘を嘘と見抜く力」みたいなものが生きていく上で結構重要で、僕自身は大学でそれを学ぶことができた、と思っています(身についたとは言っていない)。
1.大学を出て何がわかったか
広告/記事/報告などの世の中の情報は、「相手によく思われたい」「自分の考えを理解して欲しい/賛同して欲しい」といった発信者側の利益を達成するために必要な要素だけを盛り込んで、不必要な要素は排除したものがほとんどです。というか、不必要なものを可能な限り削ぎ落とした情報ほど優れていると言えます。
2.何故それが問題なのか
ここで生じる問題が、これらの情報は受信者側にとってはアンフェアに働く可能性が高いということです。情報を受け取った側がその情報を材料にして何かしらの判断をする場合には、そのポジティブな側面とネガティブな側面の両方についてよく吟味する必要があるためです。僕は、大学を卒業することによって、こういった一面的な情報に対して「本当にそうか?」と批判的に考える力が身につく、少なくともそのきっかけになり得ると考えています。
と言うのも、大半の大学生は卒業するために似たようなことをやらなければならないからです。
3.大学を出ることによって、どうやってそれが分かるようになったか
一般的に、大学を卒業するには卒業研究をして、その成果を卒業論文にまとめて発表する必要があります。しかし、大学生の卒業/修士研究は往々にしてうまくいかないことが多いのです(と、僕は考えています)。理由は学生自身の勉強不足やテーマ選びなどいろいろなことが考えられますが、たとえ望ましい結果が出なかったとしても、なんとかしてそれを成果という形で発表しなければなりません。
そのためには、うまくいかなかった研究から何かしら成果と思しきものを拾い出して、それっぽくまとめるという作業が生じます。ここで大事なのは、決して嘘をついたり都合の悪いことを誤魔化したりしてはならないということです。そういうことをやると教授には一発でバレます。
この過程で、学生は「都合のいい(必要な)部分を抜き出して情報をまとめる」という、ある種メタ的なスキルを学びます。逆説的に、そういった情報を見抜く、ないしは疑うこともできるようになると言えます。
僕がいま社会人として働いていて、大学に行ってよかったと思える一番のことが、このスキルを学べたことです。
まあそんなわけで、金と時間に余裕があって勉強が嫌いではないという前提に立つなら、特にやりたいことがない場合でもとりあえず大学行っておいて損はないとは思ってる
— M.J.P. (@mjp_mcr) 2016年4月9日
俺は大学で比較的真面目に勉強しなかったクチ(誠実ではない言い方)だけどそれでもこんなこと言うし、よっぽどやる気がなくて新入生の女の子に薬盛ってパコパコすることしか考えてないような人でなければ何かしら得るものはあると思う
— M.J.P. (@mjp_mcr) 2016年4月9日
僕はまあ端的に言ってクソみたいな大学生でしたが、僕以上にクソでない人なら大学に行くことによっていいことはいろいろあると思います。
また、僕はたまたま大学でこれらのことを学べたというだけであって、その機会が大学だけで提供されるというわけでは無いとも考えています。